「まえがき」は後書きになり、「あとがき」は前書きになる
2002年10月13日深夜に、気まぐれでこのサイトを知って、さして書きたい物の見通しも無いまま、日々思った事を書き始めてみようと思った。
「まえがき」と、タイトルに入れてみてから、何を書こうかと思いを巡らせたのだが、「日記」が人生の記録とするならば、永遠に「あとがき」を書き込む事は無い。
仮の終わりは何度も出来るのだが、自分が死んだ後に「あとがき」を、自ら書ける人は居ないであろう。
死ぬ前に書く「前書き」の蓄積が「日記」という物なんだと思ったのだが、よくよく考えてみると、その日あった出来事、もしくは産まれてから現在までに体験した経験や、それに基づいた考えから生まれた物語や、思想の書きこみが「日記」なのだという事にも気付く。
つまり、自分が産まれてから現在までの「後書き」を、死ぬ前の「まえがき」として書いているという行為が「日記」という事になる。
そう思うと「日記」の始めに書く「まえがき」という物は「後書き」であって、書きこむ「後書き」は「まえがき」になるのだと思いながら、この事を「まえがき」にすれば良いのかなと書き記す。
歴史に名を残す偉人は、大勢の他人が頼んでもいないのに、色々な形で「あとがき」を記している。
たった一人でも良いから、自分が生きていたと言う「あとがき」を伝える存在を、作れるような人間になりたいものだ。
そんな恋人が見つかって、二人の間に子供が産まれ、ささやかな家庭を持てたら、これ以上の幸せは・・・、多分、無いのだろう。
「まえがき」と、タイトルに入れてみてから、何を書こうかと思いを巡らせたのだが、「日記」が人生の記録とするならば、永遠に「あとがき」を書き込む事は無い。
仮の終わりは何度も出来るのだが、自分が死んだ後に「あとがき」を、自ら書ける人は居ないであろう。
死ぬ前に書く「前書き」の蓄積が「日記」という物なんだと思ったのだが、よくよく考えてみると、その日あった出来事、もしくは産まれてから現在までに体験した経験や、それに基づいた考えから生まれた物語や、思想の書きこみが「日記」なのだという事にも気付く。
つまり、自分が産まれてから現在までの「後書き」を、死ぬ前の「まえがき」として書いているという行為が「日記」という事になる。
そう思うと「日記」の始めに書く「まえがき」という物は「後書き」であって、書きこむ「後書き」は「まえがき」になるのだと思いながら、この事を「まえがき」にすれば良いのかなと書き記す。
歴史に名を残す偉人は、大勢の他人が頼んでもいないのに、色々な形で「あとがき」を記している。
たった一人でも良いから、自分が生きていたと言う「あとがき」を伝える存在を、作れるような人間になりたいものだ。
そんな恋人が見つかって、二人の間に子供が産まれ、ささやかな家庭を持てたら、これ以上の幸せは・・・、多分、無いのだろう。
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