『世界がもし100人の村だったら』という本を読んだ。
すぐ読める薄い本だが、ベストセラーらしい。
感動!癒し!の宣伝ポップが立てられていた。
幸せを実感できる良い話しだそうだ。

読後、どの辺りで感動して、どの辺りに癒され、何処で幸せを実感できるというのか見当もつかない。

この本の言いたい事は「世界には、大勢の恵まれない人がいて、貴方の生活は、その人達より上だから幸せである」という事に集約される。

ベストセラーと言うのだから「その人達の為に、自分が出来る事を探しましょう」と締めくくる内容だと思っていたから驚いた。

自分よりも下が居れば幸せ。
士農工商?
えた、ひにん?
そういう考えの人がいても、別に文句は無いが、感動!癒し!良い話しと言われる事には疑問を感じる。

私にも「他人より自分が一番」と考えてしまう時が有る事は否定しないが、この本を読んで「感動した!読んでみて!」と薦める人は、自分の中の卑しい部分に気付いていないのだろう。

こういう内容の本が、ベストセラーだという事に驚きと疑問が沸いたが、自分の周りを振り返ってみて気が付いた。
何か話をした時の返答が「○○はまだマシだよ。私の場合なんて・・・」という受け答えをする人が結構多い。
相手を持ち上げて、自分の方が恵まれていないから、不幸だと言いたいのだろう。
という事は、自分よりも不幸な下が存在すれば、幸せを感じる事が出来るという事になる。

・・・なるほど。
確かに買う人はいるようだ。

『世界がもし100人の村だったら』が、なぜ売れるのかという理由は解かったけれども、この本がベストセラーだという事実は、程度の差はあれ、日本における他人を妬む人の多さを表している事になるのではないだろうか。

士農工商で農民は、工業、商業よりも上だと思い満足し、商業はえた、ひにんよりも上だと思い満足した。

あの頃から、国民の意識というのは変わっていないのだ。

他人と自分を比べて、満足ですか?
他人の目が無いと、幸せを感じられませんか?

「自分が幸せじゃないと、他人を幸せになんて出来ない」という意見は、妬み人間の開き直り言葉に過ぎないと、私は思っています。

世界で一番不幸な人とは、この本を読んで幸せだと感じれた、貧しい心の持ち主だろう。

人を妬むというのは、人間にとって自然の感情なのかもしれない。
ただ、その感情を自分のやる気に変えるか、妬んだまま、そのままくすぶるかの小さな違いで、その後は大きく変わる。

その事に、早く気付くと良いのに。と漠然と考えながら、今日は筆を置きます。

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